「遊び」と「療育」の違いってなんだろう?
障害児の施設では、様々な遊びや活動、療育が提供されています。内容は施設によってバラバラで、国からプログラムが出されているわけでもありません。
立派な活動を行っている施設もあれば、一見遊んでいるようにしか見えないけれど、実は支援者が子どもの行動や反応をしっかりと読み取っている。そんな施設もあります。
今回は、ちょっと抽象的で、分かりにくい、でも大切なテーマである―――「遊び」と「療育(あるいは支援)」の違い―――についてお話しします。
ゴチャゴチャになったまま支援をしている人も多く、現場でよく迷うテーマです。一度、考えるきっかけになればと思います。
「遊び」と「療育(あるいは支援)」
この2つの言葉、みなさんはどう使い分けていますか?
「ただ楽しむこと」と「成長を促すこと」の違い? それも一理あります。違いを簡単に言うと次の通りです。
「遊び」は手段、「療育」は目的
「遊び」を使って目的を達成する。それが「療育」です。
間違っているかもしれない考え方
現場にいると「楽しければそれで支援になるんじゃないか?」という考え方も見かけます。確かに、どんな支援にも「楽しい」が大前提となります。基本的に子どもは、楽しくないと協力してくれません。だから「楽しさ」を最優先にすべき?実は、そこには落とし穴があるのです。
子どもを乗せて、ただ激しく「それ!それ!」と揺さぶる。揺さぶるのに夢中で、子どもの顔なんて見えていない。終わって、子どもが笑っていたから、ああよかった。
輪になった子どもたちに、順番に剣を刺してもらう。発達障害の子も、肢体不自由の子も、大人に手を持たれて剣を刺す。剣を刺して何も起こらなくても「はい、次」と時間がないから急ぐスタッフ。スタッフだけが笑っている。
偏った分類の仕方
先ほど説明した通り、一般的に遊びは手段と言うことができます。しかし、別の意味で使う人もいます。
「療育」は、大人が与えた勉強的なもの
「療育」は、楽しくなくても真面目に取り組むもの
この考え方をしてしまうと、「療育」ばかりやってしまうと子どもがかわいそう。そういう捉え方になっている人(施設)も出てくるのが事実です。
遊びと療育の違いとは何か
様々な考え方があります。どの施設にもある積み木を使って、遊びと療育の違いを説明していきます。
本来、積んだり壊したり、形を作ったり。様々な遊び方ができるものです。この遊びをすること自体、「触れる」「分ける」「積む」等、感覚を通して手指の動きを活発にして、認知面の発達を促進していく効果があります。
この「積み木」を2つの側面からみてみましょう。
「遊び」からみた積み木
積み木の代表的な遊び方は次のようなものがあります。
・積み木を打ち合わせて音を鳴らす
・自由に積んで楽しむ
・崩して笑う
・ひとりで積む、友だちと協力して積む
・積み木を車や家に見立ててる
・おままごと
「療育」からみた積み木
それを別の角度から見てみましょう。ここでは「発達」「年齢」という視点から見てみます。
・積み木を打ち合わせて音を鳴らす⇒0~1歳
・自由に積んで楽しむ⇒1~2歳
・崩して笑う⇒1~2歳
・友だちと協力しても積む⇒3歳ころ
・車や家に見立てる⇒3歳ころ
・おままごと⇒3歳ころ
※状況や やり方によって年齢は前後します
「遊び」と「療育」。見た目は同じでも、「何のためにやっているのか」「どこに支援の意図があるのか」という視点でみれば、違ったものが見えてきます。
「療育」の方が高貴なもの、と勘違いする人もいるかもしれません。しかし、そうではありません。「遊び」を他の角度から見たものを「療育」という。ただそれだけのことです。
遊びを別の角度からみてみよう
遊びとは自由に楽しめるもの全般を表す ことばです。
・自由度が高く、子ども自身が興味を示した方向に動ける
・目的が純粋に楽しむこと、気持ちを味わうことに置かれている
・強制されず、本人のペースで関われる
★遊びは、楽しみながら育ちを促す「手段」だということができます
★療育は、子どもの現状を把握しつつ、現在の発達の進み具合をみながら「ここを伸ばそう」「挑戦してみよう」という「目的」をもって関わること
「盛り上げるだけの支援」が落とし穴になる理由
だったら、とにかく遊んでいれば、何かしら育つんじゃないの?だったら楽しい遊びを提供すればいい。子どもが笑ってくれるには・・・。あ、とにかく盛り上げればいいんだ!
支援者の中には、「とにかく楽しく過ごせればいい」「子どもが笑っていれば支援になっている」と考える人も少なくありません。しかし、これには落とし穴があります。
もちろん、楽しさは大切です。楽しさがなければ、子どもは関わりたくありませんから。
ただ場を盛り上げることだけを目的にすると、支援としては弱くなることがあります。
リスクその1:目的が薄れる
盛り上げることに注力しすぎて、「この遊びで子どもにどんな力がつくか?」が見えなくなることがあります。ただ楽しいだけでは、成長には繋がりにくい。
リスクその2:過負荷になる可能性
刺激を増やせばよい、というわけではありません。特に感覚過敏な子にとって刺激過多は苦痛になります。楽しい空気を演出しようと、光を強くしたり、音を大きくしたりすると、かえってストレスになることもあります。
リスクその3:「やった風」支援
見た目だけ盛り上げて、支援の中身が空洞になる、というパターン。支援者が「盛り上げられたからOK」と満足し、子どものその後を振り返らない危険性があります。
リスクその4:支援者負荷
盛り上げるためには準備、工夫、演出が必要です。無理な演出を続けると支援者が疲弊します。だからこそ、楽しさと支援性のバランスが不可欠。「楽しさ」は手段であって目的ではありません。
「ただ楽しい時間」でよいのか?
しかし、それだけでは「ただ楽しい時間」で終わってしまう可能性があります。
たとえば、「今日はボール遊びで大盛り上がりだった!」という日があったとします。
でも、その中で
・子どもは何を学んだのか?
・どの力が少しでも伸びたのか?
・次のステップにつながるような仕掛けはあったか?
こうした問いに答えられないのであれば、それは「療育」とは言えません。「楽しかった」だけでは、支援者の自己満足になってしまうのです。
「目的」を持って遊びを選ぶことが支援になる
大切なのは、「この子にとって、今どんな経験が必要か」を考えることです。
・友だちと関わるきっかけが必要なら、「一緒に協力する遊び」を選ぶ
・感覚が敏感で触ることが苦手なら、「少しずつ慣れる感触遊び」を取り入れる
・手を伸ばすことが課題なら、「触れたくなるような仕掛け」を考える
このように、遊びを“目的を持って選ぶ”ことが支援そのものになります。
子どもに残る「気持ち」を考えよう
大人たちが盛り上げるから、子どももテンションが上がる。子どもによっては、どんどんテンションが上がって興奮してしまう。とくに発達が初期段階の子たちは、自分でテンションをコントロールすることが難しい場合があります。
興奮して訳が分からなくなってしまう。混乱して泣いてしまう。何だか分からないけれど、泣いた事実だけが自分の中に残って、今日一日が終わってしまった。
そんな支援を、当たり前のようにしている人は、意外と多いのかもしれません。
肢体不自由児・重症心身障害児の場合
では、肢体不自由児・重症心身障害児の場合、遊びの中で療育の視点を どのように取り入れることができるのでしょうか?
たとえば、先ほどの積み木遊び。
・あらかじめ積んだものに触れてもらって崩す ⇒「終点(終わり)」の理解
・打ち合わせて音を鳴らす、触感を確かめる ⇒感覚刺激、分別
・積んで崩してのパターンをつくって期待を促す ⇒期待反応、要求
無理やり「やらせる」のではなく、目線や表情など、こまかな反応も、どのように「遊び」で活かすことができるのか?を考えてみるとよいです。反応が小さい子どもにとっては、“見ているだけ”の時間も大きな意味があります。ただし、終始、見ているだけにならないよう注意しましょう・・・。
まとめとして
今回は、「遊び」と「療育」の関係について説明しました。
「遊び」と「療育」は、どちらか一方が良いというものではありません。遊びは子どもが自分らしく成長していくための大切な「手段」であり、療育はその成長を支える「目的」です。
支援者ができるのは、「ただ楽しい時間」を「意味のある経験」に変えること。
そのためには、「なぜこの遊びをするのか」「どんな力を伸ばしたいのか」という問いを常に持ち続けることが欠かせません。
とりあえず「イエーイ」と盛り上げとけばいいか、そんな支援は今日で終わりにしましょう。
わたしたちは、子どもの障害や疾患を治すことはできません。しかし、発達が進むための土台づくりは できるはずです。
子どもが笑って遊んでいるその瞬間が、未来の生活へとつながる大切な一歩になるように。私たち支援者は、「遊び」を使いこなせる専門家でありたいですね。
よかったら参考にしてみてくださいね。




