障害が重いって何だろう
「障害が重い」
よく聞く言葉です。しかし、このことばは曖昧です。何が重いの?どんな状態なの?
今回は、障害が重いって何だろう?というはなしです。
障害が重いって?
放課後等デイサービスなどの障害児の通所施設には、様々な障害や疾患を持った子が通っています。障害の度合いも様々です。よく「この子は、障害が重い」ということをきくかと思います。この「障害が重い・軽い」とは何を指すのでしょうか?
一般的に、
・重い自閉症
→ 自閉症の症状や特性が強い子
・重い知的障害
→ 知的な年齢や発達が低い子
・重い肢体不自由児
→ 身体的な制限が強い、医療的なケアが日常的に必要な子
と、使い分けていることが多いです。
親御さんの感じてる“重い”
スタッフが「(他の子と比べて)この子は割りと軽度だな」と感じていても、親御さんは「うちの子は、障害が重い」というケースがあります。
逆に、スタッフが「(他の子と比べて)重いな」と「うちの子は、軽度」と言い切っているケースがあります。
自分の考えが正しいと感じている場合でも、親御さんの前で、はっきり言うことはありません。トラブルの元です。食事の形態や医療的ケアなど、どうしても伝えたいのであれば、小出しに、相手を見て、丁寧に説明をするほうがいいです。
なぜ、障害の重い子の支援は難しいのか?
発達障害が世間的に日の目を浴びるようになってから、多くの本や雑誌が出版されました。しかし、どの本も、だいたいは“知的に軽い子”への支援です。
私が働いている施設では、地域の“障害が重い子”が集まっているといわれています。それは、自閉症でも、肢体不自由の子も同じ。どの障害でも重い子が多いです。支援者からの働きかけには、ほぼ無反応。もしくは、拒否。他害、自傷、その他もろもろ。障害者が出てくるチャリティー番組なんかには、まず出演なんてしないタイプの子たちです。
支援方法も悩みます。「障害児への支援Q&A」みたいな本に書かれている内容を、そのまま実践しようとしても、なんだか上手くいきません。なぜなら、本の事例の子よりも、目の前にいる子の方が知的に、認知的、もしくは、自閉などの症状的に重いからだと考えられます。
アセスメントをしてみると、どの子にも発達の凸凹があることが分かります。
「分かること」が自分を支える
「次の予定が分からない」
「いま、なにをすればよいのか分からない」
これらの「分からない」という不安から気持ちが崩れる子は少なくありません。
では、なにができるのか?
少しでも分かるもの・人・状況を増やすことだと思います。
・この曲が終わったら外に出られる
・いまはイスに座る時間だな
この「分かる」ということを支えに、安心して自分の行動を決めることができる。
だったら、「分かること」=「理解できること」を増やしてあげればいい。
どういうふうにすれば理解できるのか?他の子と同じ方法とは限りません。それを探っていくのが支援なのです。
見た目に騙されないために
パッと見ただけで障害の重い・軽いを決めつけてしまう人は、結構います。 こんな評価をしていませんか?
・タイミングよく「はい」と言う→すごく理解出来ている子
・食事は丸飲みだが量を摂ることが出来る→食事は問題ない子
・洋服の着替えや食事を一人で出来る →わりと知的に高い子だ
障害を持った子の全員が、ALSのような、閉じ込め症候群のような、“分かっているけれど、上手く外に出せないだけ”ではありません。また、日常的に繰り返される動作は、わりと身につきやすのです。そういう「見た目に騙されない評価と支援」をするのが、保育職を含めた、私たちスタッフの仕事です。
何に向けた支援なのか?
肢体不自由の子が歩けるようになるケースがあります。
歩けそうな子に対して、真っ先に「独歩」を保育の支援目標することがあります。
この「歩ける」というのは難しい問題だと思います。自分で歩けようになるということは、今まで座位中心だったのが、立つ姿勢でいることが増えるということ。視界が変わります。今までと見えるもの、見え方が変わるので、興味関心が増えていきます。外界に興味を持つということは、今後の育ちに大きく影響してきます。
しかし、知的に発達初期の子だった場合、水面下に様々な問題が潜んでいます。
危険予測は出来ているのか? 歩く先に「目的」はあるのか?
などなど。身体発達と認知発達、どちらか片一方だけをみていては、支援がいびつなものになってきます。
歩かせるためのリハビリだけで支援が終わっていないか?
私たちが立てる「支援目標」は目先のものだけを見てはいけません。
「その先に何があるのか」
それを見据えて責任をもって支援を行っていきたいです。
2017年12月5日投稿 以下追記