高過ぎる評価と低すぎる評価。「できる」「できない」に騙されない
今回は、障害を持つ子を評価するときに、
・高すぎる評価をしていないか?
・逆に低すぎないか?
というはなしです。
支援を行うとき何を基準にすればいのでしょうか?
「子どもの行動の理由」どうやって判断していますか?
支援者の声かけや質問に対して、妙にタイミングよく返事をする子がいます。
いいタイミングで返事をしたり笑ったからといっても、その子が質問の意味を理解しているとは言い切れません。
支援者が言ったことばの中の「自分が知っている単語」に反応しただけかもしれません。
支援者の言い方が面白かったから笑ったのかもしれません。
もしくは、その子にとって好きな人が喋ったから笑ったのかもしれません。
子どもが「笑う」とこは基準にならない!
子どもが笑うこと。
これは子どもの力や気持ちの基準にはなりません。
笑ったから「楽しい」に違いない。
笑ったから「理解できて」に違いない。
笑うという行為は外から見て分かりやすいです。
そのため、支援者は「笑った」から○○だ。と判断しがちなのです。
子どもの力を高く見積もっていませんか?
子どもの理解の力を現状よりも高く見積もってしまう。
よくあることです。
しかし、能力を高く見積もると、子どもに対して実際の能力よりも難しいものを要求してしまいます。
会話をしているときに笑っている子がいます。
実は理解できていないまま置いて行かれていることもあります。
大人が良かれと思って高い評価をすることによって子どもに無理を強いている可能性もあります。
子どもの特徴や現状を念頭に置いて支援を行う必要があります。
普段関わっている子の能力を低く評価したくないという気持ちは分かりますが・・・。
子どもの理解力を現状よりも低く見積もってしまった場合は?
この場合は、
「どうせ理解できていないから、この子に何を言っても無駄ね」
「大人に言われたことだけやればいいの」
という風に、子どもの人格を無視した支援(?)になりかねません。
子どもの「力」を疑う前に
例えば、食事場面。
今まで、特に問題もなく食べていたけれど、急に飲み込みが悪くなった、という子がいるとします。
このとき、原因を「食べる機能が低下したからだ」と安直に決めてしまうのはよくありません。
もしかしたら、周囲の環境が騒がし過ぎて、注意が食事に向いていないだけかもしれません。
もしかしたら、次から次に食物を口に入れる介助を続けたために、子どもが口の中の物をどう処理していいのか分からなくなってしまっているだけなのかもしれません。
このような、「環境的」もしくは「人的」な要因が隠されていることが意外とたくさんあります。これらの積み重ねが問題点として表に出てきていることもあります。
子ども自身の「力」を疑うことも大切なことです。
それ以上に支援者自身の“やり方”を疑ってみることも必要なことなのです。
ちょうどよい評価をするために
ひとつの場面、その時の状況だけで、見た通りの評価をしてしまうと評価がうまくいきません。
例えば、食事介助で、支援者が食べ物をあげればあげるだけ食べる子がいるとします。
この子に対して「食べるのが好きなのね」という評価をしてしまいがちです。
もしかしたら
「口元にスプーンが来たので口を開けている状況」なのかもしれません。
「介助者が次から次に口に食物を持ってくるので仕方がなく食べている状況」なのかもしれません。
発話やサインがない子や発達初期の子の場合、支援者が子どもの様子や前後関係から、気持ちや意図を読み取る必要があります。
子どもの理解する力を評価するときには「もしかして・・・」と別の角度から、もう一度、見直してみてください。新たな発見があるはずです。
「できる」「できない」をどう捉えるか?
障害を持った子発達に凸凹があると、得意なところ(もしくは苦手なところ)に目が行きがちです。
子どもの評価を依頼されて、いざその評価を提出してみると、
「そんなに能力が低いわけないじゃないですか」
「厳しすぎませんか?」
と(遠まわしに)言われることがあるのもそのためだと思います。
最近、障害児保育の分野でも「チェックリスト」を目にする機会が増えてきました。
チェックリストでは「できる」「できない」で判断をしていきます。
出来ないこと=分からない、能力が劣っていることとされてしまいます。
また、保育では「できる」「できない」の二分評価を嫌う傾向があります。
「実際に子どもと関わっていると
「できてるけど・・・わかってる?」
「できないけど・・・違うアプローチならできるようになるよね?」
というはいえないことがたくさんあります。
例えば、自閉症の子が、パズルとか絵合わせが上手なのは、よく知られていることだと思います。
パズルや絵合わせを1回やっただけで覚えてしまうので、次にやった時にも、訓練や課題の目的をすっとばして次から次にできてしまうことがあるのです。(言い方が悪いですが)
どんなふうにできたの?
また、肢体不自由児の子で、偶然できた課題を“できた”と判断されてしまうこともあります。
この場合は、見かけ上できたものととらえて、再度、ものや動きを変えて試していきます。
支援者は、安易に見たままを受け取らないようにします。
「子どもを疑ってかかるように」することは大切です。
「疑うこと=子供を馬鹿にすること」ではありません。
「わたしは子どもの力を信じてます!」「出来てるからいいじゃない!」という支援者がたまにいらっしゃいます。
そういう方にかぎって過大評価をする傾向にあると思います。
過大評価をするといことは、子どもの力に合わないものを要求する可能性につながることがあります。 結局、損をするのは子どもなんですよね・・・。
大人の考え方次第で変わることもあるのです。
まとめとして
今回は、障害を持つ子への評価のはなしをしました。
高すぎてもダメだし、低すぎてもダメ。
子どもの力を判断するとき「笑ったからOK」のような安易な判断はしないようにしましょう。
もっと、根本に「笑った」理由があるはずです。
よかったら参考にしてみてくださいね。