子どもを見るときのポイントとは?障害の有無は関係ない!
障害を持っている子、持っていない子ともに「子どもの見方」は基本的に同じです。
はじめて接するのであれば「子どもに楽しんでもらいたい」という思いがあれば十分だと思います。それにプラスするならば次の 2点です。
・こどもの立場に立つこと
・でも客観的にみる
子どもがどう思っているのか?その子を過大評価・過小評価せずに「本当の子ども」をとらえていければベストです。
ここでは、なぜ「子どもの立場になってみること」が大切なのか?「客観的」とはどのようなことを言うのか?を説明していきます。
大人が忘れがちなポイント
障害があろうがなかろうが、子どもと接するとき無意識的に下に見てしまっていることはありませんか?
・自分より下の存在
・自分よりも弱い存在
まずは子どもを一人の人間として捉えることが支援や援助の第一歩です。
そうでないと子どもの味方になんてなれません。
障害児の評価だからといっても根底にあるものは障害がない子と同じなのです。
① 大人だからこそ「相手の立場」になってみる
昔、とある深夜ラジオでこんな話をしていました。
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飛行機に乗っているとき、一人の赤ちゃんが大声で泣いていました。
そのパーソナリティ(ラジオの喋り手)の隣にいた中年男性があからさまにイライラしていたそうです。
飛行機に乗ると気厚さで耳が詰まったような変な感じになります。
赤ちゃんは親の都合で飛行機に乗せられているはずです。飛行機に乗ったら突然、耳がおかしくなった。心の準備もしていないのに・・・。
そりゃ、泣きます。
泣くぐらいですむなら大したもんです。
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もしも、わたしたち大人が予め説明をされていない状況で自分の身体が急におかしくなったらどうなりますか?
しかも、だれも助けてくれないんですよ?
ちなみに、イライラしていた中年男性はイヤホンで音楽を聞いていたそう。音漏れが激しかったそうです。
自分のことを棚に上げてない?客観的に考えよう
こんな場面もあります。
小さい子どもは走り回ります。喋り続けます。何でもかんでも触りたがります。
それに対して「やらないの!」とグチグチ文句を言ったり、あからさまにイライラしたりしている人を見たことがあるかもしれません。
じゃあ、あなたは小さいとき走り回らなかったの?しゃべり続けなかった?何にも触らなかった?
障害を持った子と接するときも同じです
「わたしは障害がないので分かりません」
そういうことを言う人もいます。(なぜ障害児の分野ではたらこうと思ったのでしょうか・・・)
泣くのにも、いたずらをするのにも必ず原因があります。
・ 大人の声かけの意味が理解できない
・「いま何をするべきか」が分からない
・ 注意や集中に何らかの問題がある
子どもの特性や性格、状況によっても原因は異なります。
② 第三者だからこそ「客観的」になろう
親や養育者がイライラしてしまうことはあるかと思います。
しかし、その周りにいる人たちはどうでしょうか?
・支援者
・祖父母
・親類
・ご近所さん
母親が怒っていたら一緒になって怒るのはどうなんでしょうか。
だれか一人が怒っていたら他の大人が同調して怒る必要なんてありません。子どもが混乱するだけです。
お孫さん、甥っ子や姪っ子を起こりすぎていませんか?
第三者にしかできない役割があるはずです。
・子どもの逃げ場を作ってあげる
・怒った人がクールダウンするためのキッカケを作ってあげる
などなど。
ちょっとした考え方の違いが虐待を防ぐことだってあるのです。
過大評価・過小評価をしていないか?
では支援者や祖父母、親類にしかできないこととは何でしょうか?
それは客観的にみられるということです。
子どもとの距離が近すぎると評価が甘くなったりキツくなったりしやすいです。
もちろん、そんな心配はないお父さん、お母さんもたくさんいらっしゃいますが。
大人からの声かけにタイミングよくうなずいた
⇒ ことばを完全に理解している!
1から10まで言った
⇒ 数字を完全に理解している!
よく聞く評価です。
親御さんならこの評価でもよいのですが・・・支援者がこういう評価をするのは考えものです。
本当にそうなのか?
自問自答しながらさらにその子の様子を観察する必要があります。
客観的にみる
これは大切なポイントです。
まとめとして
今回は子どもと接するとき念頭に置いておくとよいポイントを説明しました。
・こどもの立場に立つこと
・客観的にみる
やらなくっちゃな・・・と思いながら、できていないことが多いことです。
この2つは親以外の大人だからこそできる大切な役割です。
障害を持った子への支援だけではなく、障害のない子にも使える考え方です。
よかったら参考にしてみてくださいね!